市川JAMES洋二氏インタビュー!マインドの中でどれだけ突き進めるかってのがロックンロール!

INTERVIEW
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今回のインタビューは、元THE STREET SLIDERS(ザ・ストリート・スライダーズ)でベースを弾いていた市川JAMES洋二さんです。

現在でも色々なアーティストのサポート、ソロ名義での活動を行ってます!

とあるキッカケで、取材をさせて頂く事になってインタビューの時は緊張しまくりでした。

そんな市川JAMES洋二さん(以下表記:J)に音楽人生のスタートから、このコロナ渦の中でも色々と進んでいく考えなどのお話を頂きました!

音楽へのキッカケ

ーJamseさんが、音楽を始めたキッカケを教えてください。

J:はるか昔になっちゃってるから(笑)ただ音楽を始める前に、音楽を聴くキッカケがあるよね?

ーそうですよね~!まずはどういう音楽を聴いたんでしょうか?

J:最初は、小学校ぐらいからクラシック音楽が好きで中学に入って吹奏楽団に入ったんだよね。それでホルンをやってたの。ホルンが好きで、変わった子供でしょ?普通だったらトランペットとかサックスとかじゃない。

ーホルンって管が丸くなってますよね?

J:そうそう。中音楽器っていうのかな。そんなんでクラブをずっとやってたんだけど、なんかそのクラブが馴染めなくて、ちょっと嫌な先輩が居たりして、段々段々好きなモノが嫌いになってくるじゃん!やっぱり嫌な先輩が居たりするとね。

ーそれは楽しくなくなりますよね~

J:そう。でも辞めるにも辞める勇気がない感じでさ~。それで中学2年生ぐらいからね、僕らの時代はラジオなんだよね。ラジオでストーンズ、T・レックス、ビートルズ。やっぱりそれを聴いて衝撃受けちゃって!今みたいに刺激のある時代じゃないからさ、エレキギターの例えばT・レックスの20th Century Boyのイントロとかね!ローリングストーンズだったらJumpin’ Jack Flashのギターのイントロ。もうあれにね、痺れちゃった!古いけど痺れちゃったエレキじゃないけど(笑)

ー今でも名曲ですよね!

J:うん!

ー自分もJumpin’ Jack Flashのイントロは最高だと思いますし、素直にカッコいいですよね!

J:やっぱり当時、日本は歌謡曲、フォークソングの時代だからさ。クラシックは好きだったんだけど、ラジオから流れてくるのは、演歌とか歌謡曲じゃない。で数少ない番組の中で、洋楽をかけるんだよね~。暗い少年だっかから、とにかくラジオが友達ね~、学校から帰ってきたらラジオ。そのラジオから流れてきた音楽、当時はイギリスの音楽が多かったかな。

ー60年代だとブリティッシュが多いですよね。

J:中学2年生ぐらいだから72年ぐらいだね。そこからアルバムを買ったんだよね!シングル盤じゃないんだよ。ローリングストーンズの「山羊の頭のスープ」を買って、あとT・レックスだったら「ザ・スライダー」を買って、それを毎日聴くんだよ。それしかないから!それでもまだ、エレキは不良の時代だから、こっそり聴いてたんだよね。

ーへぇ~そうだったんですね。

J:学校でもロックを聴いてる人がクラスに4~5人ぐらいしかいなかったかな~。あとは皆スポーツとかさ、あとフォークソングとか、あまりロックを共有出来る仲間が居なかったね。

ー当時は、ロックは不良の音楽ですよね?

J:不良の音楽!悪魔の音楽だよね。

ー今みたいにポピュラーになってないですよね。

J:なってないね!今なんかね、お父さんお母さんも応援しちゃってる時代だから、僕らの時代は大人が顔をしかめるみたいなね。エレキは不良の始まりみたいな感じだったからね。そんな中で、一人でラジオを聴いてたんだけど、高校入ってスライダーズのボーカルのハリーと同じクラスになるんだよね。

それでやっぱり、ロックンロールが好きな奴が居たんだ!って事で、当時すでにハリーはギターをやってたからね、エレキも持ってたし。そんな中、僕もギターをやるようになって。

ー元々はギターからだったんですね?

J:うん!どっちにしろ最初は下手なんだから、なんでも良いだよ。それに当時ギターなら持ってる人が周りに居たから、借りたりとかね。最初は中古のギターを譲ってもらったんだよね。

ー最初のギターとか覚えてますか?

J:覚えてる。ロージェってメーカーのSG。今でもROJEだったかな~。それをアンプとか無いんで家のステレオに繋げてパコパコな音なんだけどね。そのうちにファズってのがあるんだよ!って話になったり、そんなレベルの始まりだった。

ー最初はそういう感じだったんですね~。

J:うん。

ーその当時の高校生時代にハリーさんと知り合って、ストリートスライダーズの原型が出来ていくんでしょうか?

J:とにかくエレキ禁止の学校だったから、バンドとか出来ないんだよね。こっそり友達の家に集まって、バンドの練習をしたりとかしたけど、コンサートもやった事ないし、ましてはスタジオなんかプロの人が使う所だと思ってたから、八王子の友達の家とか庭とか。

ー庭ですか!?

J:うん。あと土蔵。お蔵でやったりとか。友達のお兄さんがアンプを持ってたりしたから、それをお借りしてね。

ーなるほど~!

J:メンバーの音楽ジャンルもバラバラなんだよね。各々が好きなのを演る感じで、ストーンズもやれば~キャロルもやれば~井上陽水もやれば、かぐや姫もあれば、ディープパープルとかやるみないな。とにかくスライダーズの原型とかそういうんじゃなくて、僕もベース弾いたり、ギター弾いたり。

ー楽器は関係なく、バンドがやりたいって事ですね?

J:そうそう。ただバンドがやりたい!そういうレベルよ。

ー当時だとリハーサルスタジオってアマチュアが使う場所ってなかったんじゃないですか?

J:ないよね!まだこの辺(取材場所:吉祥寺)もなかったしね。それにライブハウスもプロの人しか出ちゃいけないとかさ~。

ー今みたいに何でもウエルカムじゃなくて、必ずライブハウスに出るためにオーデションがあってた時代ですよね。

J:そうだね。そしてマスターから「お前出ろ!」って言われたら出るみたいな。

ーそうなりますよね~

J:うん。やっぱりハードルは厳しいよね。

ー今は昔に比べれば、(ライブハウスに出る)ハードルは下がりましたよね。

J:誰でも出れるのは、音楽が身近になって良いんだけどね。

ストリートスライダーズへの参加

ーストリートスライダーズへ参加するキッカケを教えてください。

J:キッカケっていうか成り行きだよね~。

ー成り行きなんですね!

J:僕が高校卒業して、ブルースとかソウルミュージック、R&Bがやりたくてそういうバンドを始めて、ハリーは高校卒業してロックンロールバンドをやりたくて、別バンドでロックンロールをやり始めて、それから何年か後に、ハリーのバンドも僕のバンドも解散しちゃって色々とあったりして、ま~合体したというかね。2年ぐらい別々でお互いやってて。

ー最初は、それぞれ別々で活動をしてたんですね。

J:うん。平たく言えばローリングストーンズみたいなリズム&ブルースとかロックンロールとか、黒っぽい音楽をやるバンドをやろうって事になって、僕とハリーと、僕のバンドに居たドラムともう一人ギターを入れて4人で始めたんだよね。

ーそうだったんですね!

J:なんか、ストーンズとかとね~、あの頃はドクターフィールグッドとかイアン・デューリーが、イギリスのパブロックで黒っぽいサウンドをやるバンドが出てきたから、粗削りなロックンロールだけど、当時カッコいいなー!って黒っぽいサウンドだと思ってね。で、そういうのをやろうって言ってね。

ー当時、R&Bとか黒っぽいサウンドは、日本に少なかったんじゃないですか?

J:例えばサウストゥサウスとかさ、もろリズム&ブルース、ブルースバンドとか、京都とか大阪にはいっぱいあったけど、そういうんじゃなくてもっとロックンロールよりっていうのかな~。だからあんまりなかったかもしれないね~。ビート系やパンクやニューウェーブ、テクノポップのバンドが出てきたから、そういうバンドは居たけどね。同じロックンロールバンドでもちょっと違う、その中間かな。ビートパンクとソウルミュージックの中間ぐらいのね。だから当時は、ローリングストーンズやJ・ガイルズバンド

ーストリートスライダーズは、当時からリズム&ブルースやロックンロールをやってる中、同じ時代にBOØWYやパンクなバンドが多かったですよね。

J:そうだね。この辺りだと東京ロッカーズとか、東京ニューウェーブとかね。そういう連中も居たし、そういうムーブメントもあったけど、僕がバンドを始めたころは、ブルースとかそっちのほうだったから、あまりね~殆ど聴いてないんだよね~。僕より一つ二つ下だと、そういう連中が多かったけど、それに僕が通ってた学校が東京でも田舎だったから、パンクやってた奴とか周りに殆ど居ないんだよね。

ーラモーンズも最初はパンクとは言われてなかったんですよね。

J:巷では流行ってたかもしれないけど、なんせ田舎だったからね。あんまりパンクやってる奴がいなかったし、パンクはラジオやテレビでもあまり流れてなかった気がするしね~。ま~当時は情報があまりなかったかな。

ーパンクだと攻撃な音楽でもありますから、放送できなかったのかもしれないですね。

J:かもしれないね。

ーそういう時代だったんですね~

J:年代も上の人と付き合ってたから、大体そういう人達はアメリカンロックとかさ、ブルースとかソウルミュージックも聴いてるけどね。

ーJAMESさんルーツとしては、R&Bやブルースですよね。

J:うん。

音楽での気持ちの変化

ーちなみにJAMESさんが、音楽に携わってきて若い頃と今までの経験をしてきて、音楽に対しての気持ち等どう変化しましたか?

J:20代~30代とかは、ずっとスライダーズだったけどね。その頃はやっぱり拘りっていうかさ、アッチコッチに手を出すのはロックンロールじゃないなって思いがあって、そんな僕は天才じゃないからね。だからこそ、自分をちゃんと一つの枠にはめて、カッコよくいうと「求道的」というか道を究める感じで、こだわり続けてやってきたんだけどね。それがバンドが無くなったりしたりして、色んなジャンルの仕事でベースを弾かなくてはいけなくなるじゃない。そうすると、なんかダセーなって思いながらもやってると、段々、段々色んな音楽の良さが分かってくるんだよね!あっ!これってやった事も聴いた事もないけど、気持ちいいな~とかね。40代ぐらいになってくるとそうなってくるんだよね。

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