【コラム】ビジュアル系という名称もない時代!D’ERLANGERに出会ってなかったら今の自分は無いかも!

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誰にもルーツがあると思うけど、私にもそれなりに音楽のルーツがある。

今では当たり前になった「ビジュアル系」そんな名前すら無かった時代に、D’ERLANGER(デランジェ)に出会った。

ルナシーがインディーズで出始めたぐらいに、いつしか「ビジュアル系」って言われるようになった気がするんだけど、ま~どうでもいいかな(笑)

少年だった頃、本当に今みたいに情報がいっぱいあるわけでもなく、田舎からすればロックバンド等の紹介されてる音楽雑誌(ロッキンF・バンドやろうぜ!・パチパチ等々)が情報源だった。

田舎者からするとカッコいいバンドを探すのも一苦労だった時代に、そうやって探して見つけたのがD’ERLANGERだった。

初めて、D’ERLANGERのLA VIE EN ROSEを聴いて、あまりの曲のカッコよさとその中でもドラムの存在感が半端なかったが最初の印象だった。

当時の私は、パンクやビートロックがメインに聴いてたのもあって、それとは違ったドラムアプローチに一気に魅了された感じだった。

おそらく高校生だったので、既にD’ERLANGERは解散してた。

殆ど解散してから知る事が多かったかも…

そんなD’ERLANGERは、人気絶頂の時に解散してしまったバンド。

私の知ったD’ERLANGERは、Vo:kyo、Gt:CIPHER、Ba:SEELA、Ds:Tetsuの四人。

好きな曲は、LA VIE EN ROSEをはじめ、LULLABY、Moon and the Memoriesなど、その他色々なんですけどね。

あの四人だったから好きになったのかもしれない。

絶対的なカリスマのCIPHER(瀧川一郎)が大人気だったんだけど、ドラマーになりたい少年の私は、もちろんドラムのTetsu(菊地哲)に憧れてた。

Tetsuさんのドラムは、突進するようなエイトビートにカッコいいタムフレーズ等々で、当時かなり衝撃的だったな。Tetsuさんのドラムスタイルが44マグナムのJOEさんの影響だったのは、後から知るわけです。

当時、そんなTetsuさんも使ってたロートタムってタムがあって、ある先輩のドラマーから譲って頂ける事になってテンション上がってた!高校生だったから、まだ機材車なんてなくて原チャリに積んで行ってた(笑)結局ロートタムは、自分がメジャーの時に使わなくなって倉敷のメタルバンドの子に譲ったんだ。今でも大切に使ってくれてると嬉しい。

ツインペダルもめちゃくちゃ練習したけど、D’ERLANGERって案外ツーバスの曲って少なかった。

そしてD’ERLANGERのコピーバンドやってから、ドラムフレーズをガンガン吸収させてもらった。

それから、ちょっとだけロックンロールやパンクロックとは違ったバンドに入っていくんだけど、それはまた別のお話。

そんな自分に多くの影響を与えたD’ERLANGERは、2007年に復活して現在でもライブを行ってる。

影響を受けたバンドが、現在進行形で活動してくれてる事が本当に嬉しい!

それでは、また!

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