おい、若いの。
お前らが生まれるずっと前、日本の音楽シーンがフォークだのなんだので腑抜けてた時代に、とんでもねえ稲妻をブチ込んだバンドがいたのを、知ってるか?
そいつらの名は「キャロル」。
たった2年半で日本のロックを根こそぎひっくり返し、まるで燃え尽きるように去っていった、正真正銘の伝説だ。
今日は、俺たちの魂を今も熱くさせる、奴らの話をしようぜ。
ビートルズの魂と革ジャンの反逆
話は1972年に遡る。
広島から飛び出してきた矢沢永吉が、「ビートルズとロックンロール好きなヤツ、求ム!」なんて貼り紙一枚でメンバーを集めたのが始まりだ。
そこに集まったのが、ジョニー大倉、内海利勝、ユウ岡崎。
奴らが手本にしたのは、あのビートルズがデビュー前にドイツのハンブルクで見せた、荒々しい革ジャンにリーゼントのスタイルだった。
当時の日本じゃ、ロックって言やあ長髪が当たり前。
そんな時代に、ビシッとキメた革ジャンとリーゼントで現れたんだ。
不良のレッテルなんてクソくらえ。
むしろ、そのスタイルこそが俺たちの心を捉えて離さなかった。
奴らはただのバンドじゃねえ、新しい時代の象徴だったのさ。
日本語ロック?上等じゃねえか!
今じゃ当たり前だが、当時は「ロックに日本語の歌詞なんて乗るかよ」なんて言われてたダセェ時代だ。
だが、キャロルはそんな常識をぶっ壊した。
ジョニー大倉がひねり出す、英語と日本語が入り混じった生々しい歌詞。
それに矢沢永吉が叩きつける、一度聴いたら忘れられねえキャッチーなメロディー。
この化学反応が、日本のロックを変えたんだ。
1972年のデビュー曲「ルイジアンナ」から始まって、「ファンキー・モンキー・ベイビー」や「ヘイ・タクシー」を立て続けにヒットさせた。特に「ファンキー・モンキー・ベイビー」は30万枚近く売り上げる大ヒット。
テレビに出ては過激なパフォーマンスをかまして、日本中のお茶の間に衝撃を与えてやったのさ。
燃え尽きた伝説のラスト・ライブ
人気が爆発すりゃ、当然、軋轢も生まれる。
メンバー間の火花は、日に日に激しくなっていった。
そして1975年4月13日、雨が降りしきる日比谷野外音楽堂。奴らの最後のライブが行われた。
キャパ3000人の会場に7000人以上が押し寄せ、まさに酸欠状態の熱気だった。
そして伝説は、最後に起きる。ステージの特殊効果の炎が、「CAROL」って電飾看板に燃え移っちまったんだ。
看板は燃えながら崩れ落ち、まるで奴らの短い歴史そのものを象徴してるようだった。
あれは事故じゃねえ。伝説になるべくしてなった、最高のエンディングさ。
わずか2年半というあまりにも短い活動期間。
だが、キャロルが放った閃光は、今も俺たちの心の中でギラギラと輝き続けてる。
そして何より、その後の矢沢永吉の孤高の活躍が、キャロルという存在をさらに神格化させたんだ。
奴らが日本のロックに残したデカい爪痕は、永遠に消えるこたあねえのさ。



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