ロック好きの諸君、今日はちょいと昭和と平成の狭間で燃え盛った、本物の“ロックンロールバンド”について語らせてもらおう。
その名もTHE PRIVATES(ザ・プライベーツ)。知ってるかい?
1983年に結成され、今なお活動を続ける、筋金入りのジャパニーズ・ロックンロール・バンドさ。
結論から言うと、THE PRIVATESが日本のロックに与えた影響は、「王道ロックの純度を保ち続けることの意義」を、後続バンドたちに身体で教えてくれたってところだな。
ガレージロックとパンクの中間、だけど正統派
THE PRIVATESの音楽をひと言で言うと、ブルースロックとガレージロックを軸に、パンクの勢いとビートロックの骨格を持つ王道サウンド。
でも、安易なポップ化や媚びた演出には決して走らなかった。フロントマンの延原達治(のぶはら・たつはる)は、日本ロック界でも数少ない「ロックンロールに命をかけた本物のボーカリスト」だ。
この人の声はすごいぞ。しゃがれてるのに透明感があって、ロックのざらつきを感じさせつつも、ちゃんと心に届く。日本語ロックの中でもかなり稀有なタイプのボーカルスタイルで、後の数多くのバンドにとって“理想のロックボイス”になった。
たとえばTHEE MICHELLE GUN ELEPHANT、GUITAR WOLF、THE NEATBEATSといったバンドたち。彼らが追い求めた「ロックンロール像」は、THE PRIVATESの美学と地続きなんだよな。
メジャーシーンでも一瞬だけ咲いたが……
1980年代後半、BOØWYが解散し、ブルーハーツが台頭し、JUN SKY WALKER(S)やユニコーンが若者にウケていた時代、THE PRIVATESも短いながらメジャーシーンに躍り出た。
1988年のシングル「LUCKY MAN」がスマッシュヒット。ローリング・ストーンズを彷彿とさせる曲アレンジに、延原のシャウトが乗って最高にイカしてた。
でも、いわゆる「売れ線」には乗らなかったんだ。あくまで自分たちのスタイルを崩さなかった。だからこそ、「売れるロック」じゃなく「貫くロック」を目指す若いバンドたちにとってのロールモデルになったんだ。
地下に潜っても、火は消えなかった
1990年代以降、メディア露出は減ったものの、ライブハウスシーンではTHE PRIVATESはずっと“神”扱いだった。特に、下北沢・新宿・高円寺あたりのライブハウスシーンで活動する若手ガレージ系バンドたちにとっては、延原達治はまさに“生きた伝説”。
本人もソロ活動やコラボに積極的で、このへんの縦横のつながりが、日本のロックシーンを深く支えていたんだよ。
たとえば、2000年代のバンド「KING BROTHERS」や「THE BAWDIES」なんかが、延原の影響を公言してたりする。
つまりTHE PRIVATESは、“目立たずとも、ずっと誰かの中で燃えてる火”みたいな存在だったわけだ。
ロックの「原点回帰」を常に示してきた存在
もうひとつ注目したいのが、THE PRIVATESが時代に流されず、常に“ロックの初期衝動”を体現し続けたこと。
時代がグランジだ、ミクスチャーだ、オルタナだって騒いでても、彼らは常に“3コードで心を揺さぶる”ロックンロールを鳴らし続けた。
この姿勢は、00年代以降の“ロック回帰ブーム”にも大きな影響を与えていると思う。たとえばThe Birthday(チバユウスケ率いるバンド)なんかも、音は違えど「芯をぶらさないロックンロール」を貫くという点でTHE PRIVATESの遺伝子を感じさせる。
そして忘れちゃいけないのが、延原達治がいまだに現役バリバリで、ライブで汗だくになって歌ってるってこと。“50代以降もロックはできる”っていう、リアルな見本を後輩たちに見せ続けてくれてる。これは本当にすごいよ。
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