「Air 車谷 パクリ」なんて検索ワードを見かけたとき、正直ちょっと胸がザワついた。おいおい、Airを知らない世代が軽々しく語るもんじゃないぜ、と思わず言いたくなる。なぜなら、Air=車谷浩司は、日本のロックシーンで確実に魂を鳴らし続けてきた男だからだ。
Airって誰だよ?と思った君へ
Airは1996年に始動したソロプロジェクトで、中心人物は車谷浩司。そう、あの伝説的ユニット「SPIRAL LIFE」の元メンバーだ。解散後、彼は自分の感性を信じて“Air”という名義で音楽を紡ぎ始めた。
Airのサウンドは一言で言えば「叙情的で鋭い」。ビートに頼りすぎず、でもリズムはしっかり芯がある。ギターの鳴りもエレクトロも、すべてが内省と希望のせめぎ合い。まさに、90年代オルタナティブロックを日本の土壌で開花させたような音だ。
“パクリ疑惑”?笑わせるな。
さて、「パクリ」という言葉がネットで飛び交う理由。それは主に、彼の音楽性がRadioheadやOasis、Beckといった海外アーティストに近いと感じる人がいるかららしい。でも、ちょっと待て。それって影響を受けたってだけの話じゃないのか?
音楽ってのは常に“血統”がある。誰かに影響され、何かを受け継ぎ、次の表現へと昇華されていく。ロックはとくにそうだ。パクリか否かなんて、浅い耳じゃ判断できない。Airの音には、むしろ**「引用」ではなく「消化」の跡**がはっきり残っている。そこが、ただの模倣とは違うんだ。
それでも言いたい。「Airはオリジナルだ」
車谷は、ブリットポップ全盛の空気をまといながらも、それを日本語の叙情と繊細さに落とし込むセンスを持っていた。そこに自分の“弱さ”や“孤独”を織り交ぜた。だからこそ、Airの曲はどこまでもパーソナルで、聴く者の胸を打つ。
ライブでは、音源よりも剥き出しのギターと感情をぶつける姿が印象的だった。あんなにナイーヴで、あんなにロックな人、そうそういない。
結論:リスペクトと創造の間に生きる音楽
Airの音楽は、確かに誰かに似ている瞬間がある。けれど、それは“似せた”んじゃなく、“受け取った”ものだ。問題なのは、受け取ったあと自分の表現にまで昇華できるかどうかでしょ?車谷浩司は、それをやってのけた数少ないミュージシャンのひとりだ。
「パクリ」なんて言葉で片付けるには、あまりに彼の音楽は誠実で、切実で、美しい。
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