はじめに:なぜ今、アンジーを語るのか
おい、そこのロック好きのアンタ。
日々の暮らしに疲れてねえか? 上司の理不尽な説教、終わらない残業、SNSに溢れるギスギスした言葉たち……。
「ロックなんて聴いてる余裕ねえよ」なんてため息ついてるなら、ちょっと俺の隣に座ってくれ。一杯やりながら話そうじゃねえか。
今日、俺がアンタにどうしても紹介したいバンドがいる。
その名は「アンジー(ANGIE)」だ。
「ああ、『天井裏から愛を込めて』の人たちね。知ってる知ってる、イカ天とかバンドブームの頃の人でしょ?」
もしアンタがそう思って片付けようとしているなら、俺は机をひっくり返してでも引き止めるぜ。
アンジーをただの「一発屋」や「コミックバンド」だと思ってるなら、それはあまりにも勿体ない誤解だ。
彼らは、80年代後半から90年代初頭の日本のロックシーンにおいて、最も「人間臭く」、最も「哲学的」で、そして誰よりも「優しかった」パンクロックバンドだ。
ブルーハーツが「ドブネズミ」の美しさを歌い、ジュンスカが青春の衝動を叫んでいたあの時代。アンジーは、そのどちらとも違う場所で、俺たちのちっぽけな日常や、情けない自分自身を、笑いと涙で肯定してくれていたんだ。
令和の今、世の中は効率や正論ばかりが幅を利かせている。だからこそ、今、アンジーが必要なんだ。
水戸華之介(当時は水戸華之介)という稀代の詩人が紡いだ言葉、そして鉄壁のバンドサウンドは、30年以上経った今でも全く錆びついちゃいねえ。
今日は、ロック好きのオヤジとして、アンジーがいかに素晴らしいバンドだったか、そして彼らが残したものが何なのか、骨の髄まで語り尽くさせてもらうぜ。長丁場になるが、最後まで付き合ってくれよ。
第1章:福岡の異端児、「めんたいロック」の系譜にあって非ず
まずは時計の針を80年代に戻そう。
当時、日本のロックシーンにおいて「福岡(博多)」というブランドは絶対的な力を持っていた。
サンハウス、シーナ&ロケッツ、ザ・ルースターズ、THE MODS……いわゆる「めんたいロック」と呼ばれるバンドたちだ。彼らは黒い革ジャンに身を包み、鋭い眼光でロックンロールを鳴らす、最高にクールで、そして「怖い」不良たちの象徴だった。
だが、アンジーは違った。
彼らも福岡出身だが、先輩たちのような「近寄りがたい不良性」を全面には出さなかった。
ボーカルの水戸華之介のルックスを見てみろ。長髪に派手な衣装、顔にはペイント、時には奇妙な被り物。
一見すると色物に見えるその姿は、不良というよりは「大道芸人」や「吟遊詩人」のようだった。
彼らの音楽性は、パンクロックを基盤にしつつも、フォーク、歌謡曲、ハードロック、そして民族音楽的な要素まで飲み込んだ、ごった煮の闇鍋みたいなサウンドだ。
だが、その根底に流れているのは、紛れもなく「ロック」の血だ。それも、スタイリッシュに決めるロックじゃなく、泥臭く、汗と涙にまみれた、地を這うようなロックだ。
彼らは「カッコいいこと」よりも「楽しいこと」「伝えること」を選んだ。
だからこそ、アンジーのライブ会場には、革ジャンを着たパンクスだけでなく、普通の学生や文学青年、悩み多き少女たちが溢れかえっていたんだ。
彼らは「福岡の異端児」でありながら、誰よりも大衆の心に寄り添う「歌」を持っていたんだよ。
第2章:水戸華之介という「教祖」にして「隣人」
アンジーを語る上で、絶対に避けて通れないのが、ボーカルの水戸華之介(現在は水戸華之介として活動中)の存在だ。
俺は断言する。彼は日本ロック史上、5本の指に入る天才作詞家であり、フロントマンだ。
1. 哲学するパンクロック
水戸の書く歌詞は、一見すると突飛だ。
「天井裏」だの「ミミズ」だの「蠅」だの、およそ美しいラブソングには出てこない単語が次々と飛び出してくる。
だが、その奇妙な言葉の裏側には、生きることの根源を問うような、鋭い哲学が隠されている。
彼は決して、上から目線で「こう生きろ!」とは言わない。
「俺たちはこんなに情けない。でも、それでも生きてていいんだぜ」
そうやって、ダメな自分をさらけ出し、笑い飛ばすことで、聴く者を肯定するんだ。
彼の言葉選びは、太宰治や坂口安吾といった無頼派の文学に通じるものがある。
弱さの中にある強さ、汚さの中にある美しさ。それを見つけ出す嗅覚がズバ抜けているんだよ。
2. MCという名のアジテーション
ライブでの水戸華之介のMCもまた、伝説の一つだ。
客をいじり、自虐ネタを飛ばし、会場を爆笑の渦に巻き込んだかと思えば、次の瞬間にはハッとするような真理を突きつけてくる。
「楽しむことが罪だなんて、誰が決めたんだ?」
「悲しい時は笑えばいい。嬉しい時は泣けばいい」
彼の言葉は、迷えるロックキッズたちの心に、聖書の一節のように刻まれた。
ファンにとって彼は、カリスマ的なロックスターであると同時に、悩みを打ち明けたくなる「親戚の面白い兄ちゃん」でもあったんだ。この距離感こそが、アンジーの魔法だった。
第3章:変幻自在のバンドアンサンブル〜ブースカ・ぼん・ガッツの職人芸〜
アンジー=水戸華之介のワンマンバンドだと思ったら大間違いだぜ。
バックを支える3人のメンバーもまた、一筋縄ではいかない強者揃いだ。彼らの演奏があったからこそ、水戸の自由奔放なパフォーマンスが成立していたんだ。
1. 中谷ブースカ(Guitar)
ギタリストの中谷ブースカ。彼のギターは、アンジーの楽曲に「色彩」を与えていた。
パンクバンドのギタリストというと、パワーコードでジャカジャカ弾くイメージが強いが、ブースカは違う。
彼は非常にメロディアスで、テクニカルなフレーズを涼しい顔して弾くんだ。
ハードロック的な速弾きから、カントリー調のアルペジオ、サイケデリックなエフェクト使いまで、引き出しの多さは半端じゃない。特に、水戸の歌メロに寄り添うような「歌うギターソロ」は絶品だ。彼のギターがなければ、アンジーの曲はもっと殺伐としたものになっていただろう。
2. 植中ぼん(Bass)
ベーシストの植中ぼん。彼のベースラインは、アンジーの「踊れるロック」の要だ。
うねるようなグルーヴでボトムを支えつつ、時にはメロディ楽器のように前面に出てくる。
彼のプレイは、派手さはないが堅実で、バンド全体のサウンドをぎゅっと引き締める役割を果たしていた。飄々としたキャラクターも相まって、ステージ上での存在感は抜群だったな。
3. 藤井ガッツ(Drums)
そしてドラムの藤井ガッツ。名前の通り、ガッツ溢れるパワフルなドラミングが持ち味だ。
だが、ただ力が強いだけじゃない。アンジーの楽曲特有の変則的なリズムや、テンポチェンジにも柔軟に対応する器用さを持っていた。
彼の叩き出すビートは、聴く者の心臓を直接ノックするような、原始的な高揚感がある。「ドカドカうるさい」だけじゃない、歌心のあるドラマーだったんだよ。
この3人と水戸が組み合わさることで、アンジーの音は「パンク」という枠組みを超え、**「アンジーというジャンル」**を確立していたと言っても過言じゃねえ。
第4章:魂を揺さぶる名曲選〜これを聴かずに死ねるか〜
さて、ここからは「アンジー入門」にして「至高の5曲」を紹介する。
サブスクでも聴ける曲が多いから、このコラムを読み終わったらすぐに検索してくれ。
1. 『天井裏から愛を込めて』
まずは挨拶がわりの一発。彼らのメジャーデビュー曲にして、最大のヒットナンバーだ。
「天井裏から愛を込めて〜」というサビのインパクトは強烈だが、歌詞をよく読んでみてくれ。
片思いの相手を見守ることしかできない、不器用な男の純情(と、ほんの少しの狂気)が描かれている。
疾走感あふれるビートに乗せて、水戸が叫ぶ「愛を込めて!」というフレーズ。これは単なるストーカーの歌なんかじゃねえ。孤独な魂が、世界と繋がろうとする必死の叫びなんだ。ライブでの一体感は、文字通り天井が抜けるほどの熱量だったぜ。
2. 『銀の腕時計』
俺がアンジーの中で一番泣いた曲かもしれない。
美しいメロディに乗せて歌われるのは、過ぎ去った時間と、変わっていく自分への問いかけだ。
「銀の腕時計 時を刻めよ」
切ないギターのイントロから始まり、後半にかけて感情が爆発していく構成は見事としか言いようがない。
青春時代の終わりを感じ始めた頃に聴くと、涙腺が決壊すること間違いなしだ。ロックバンドが歌うバラードの、一つの到達点がここにある。
3. 『素晴らしい僕ら』
落ち込んでいる時に聴いてほしい、究極のポジティブ・ソングだ。
「素晴らしい僕らは 素晴らしい僕らは」と繰り返されるリフレイン。
根拠なんてなくていい。ただ、生きてるだけで俺たちは素晴らしいんだと、全力で肯定してくれる。
水戸華之介の声には、「嘘」がない。だからこそ、このシンプルな言葉が胸に刺さるんだ。現代の自己肯定感低めな若者にこそ、処方箋として聴かせたい一曲だ。
4. 『見事な夜』
アンジー流の「人生賛歌」だ。
夜の静けさと、そこに息づく人々の暮らし。決して派手な成功物語じゃないけれど、「見事な夜だ」と言い切れる強さ。
この曲を聴くと、なんだか自分の人生も捨てたもんじゃないと思えてくるから不思議だ。
中谷ブースカのギターソロがまた、夜風のように心地よくて泣けるんだよ。
5. 『マグマの人よ』
ライブでの定番曲であり、ファンの熱狂が最高潮に達するナンバー。
大地から湧き上がるようなエネルギーを感じさせる、トライバルなビート。
「マグマの人よ 燃え上がれ」
この曲を聴きながら拳を突き上げていると、体の中から力が湧いてくる。理屈抜きに、生命力が活性化されるような楽曲だ。
第5章:1992年の解散、そして「伝説」へ
アンジーは1992年、人気絶頂の中、日比谷野外音楽堂でのライブをもって解散した。
多くのバンドがそうであるように、彼らにもまた、終わりの時が来たんだ。
だが、その解散劇ですら、アンジーらしかった。
悲壮感漂う別れではなく、最後まで「楽しむこと」を貫いたラストライブ。
水戸華之介は言った。「アンジーは解散するけど、みんなの人生は続くんだぜ」と。
解散後、メンバーはそれぞれの道を歩んだ。
水戸華之介はソロ活動や「水戸華之介&3-10chain」として、今なお精力的に歌い続けている。その声の張り、言葉の鋭さは、オヤジになった今でも全く衰えていないどころか、深みを増している。
ブースカやぼん、ガッツもそれぞれのフィールドで音楽を続けてきた(もちろん、一時的な再結成でファンを喜ばせてくれることもある)。
アンジーが残した遺伝子は、その後の日本のロックバンドにも確実に受け継がれている。
日常の言葉で哲学を語るスタイル、コミカルさとシリアスさの融合。サンボマスターや銀杏BOYZあたりにも、アンジーのエッセンスを感じるのは俺だけじゃないはずだ。
第6章:生きる力が湧いてくる、それがアンジーの魔法だ
長々と語っちまったが、最後にこれだけは言わせてくれ。
アンジーの音楽は、「逃げ場所」じゃない。「戦うための武器」だ。
ここで言う「戦い」とは、誰かを殴り倒すことじゃない。
理不尽な世の中や、弱い自分の心と戦い、それでも今日を笑って生き抜くための戦いだ。
水戸華之介は教えてくれた。
「かっこ悪くてもいい。泥だらけでもいい。愛を叫ぶことを恥じるな」と。
もし今、アンタが孤独を感じていたり、自分を好きになれずにいるなら。
騙されたと思って、アンジーのアルバムを聴いてみてくれ(ベスト盤『雲』あたりから入るのもおすすめだ)。
イヤホンから流れてくる彼らの音は、きっとアンタの背中をバシッと叩いてくれるはずだ。
「おい、元気出せよ。お前は素晴らしいんだぜ」ってな。
ロックは不良のものだけじゃない。
真面目に、不器用に生きる俺たちオヤジ(もちろん若者も!)の味方なんだ。
アンジーはいつだって、天井裏から、いや、心のど真ん中から、俺たちに愛を送り続けてくれている。
さあ、読み終わったら『銀の腕時計』でも聴きながら、今夜は熱い酒でも飲もうや。
ロックンロールは、まだ死んじゃいねえぞ。



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