【編集長ブログ】思えば遠くに来たもんだ!上京してあっという間に20年過ぎたので思い出話を。

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無事、誕生日を迎えて一つまた歳を取りました。

そういえば、音楽で上京してきて気づいたら20年過ぎました。

久々に引っ越しもある。

そんなわけで、たまには思い出話。

福岡の田舎で二十歳過ぎまで暮してた時に、音楽で飯が食えるチャンスが来た!

当時、普通に建設会社で管理職として仕事しながらバンドをしてた。

田舎なので若いうちに結婚するが殆どなので、そんな家族を養うために同じ世代の連中も次々とバンドやめていく中、それでもバンドでプロになる事を諦めなかった。

そんな中、たむろしてた音楽スタジオで友人が新しく始めたバンドのドラムが結婚するためバンド出来ませんとなった。

自分は、たまたま居ただけなんだけど「ちょっとスタジオ入って合わせてみない?」って言われて、さっそく曲の構成を確認しながら演ってみた。

合わせてみたら良い感じだったので、そのままドラムになったらいきなりデモ音源作る事になり、ばんばんライブやり始めて、一年もしないうちにある程度お客さんも入るようになった頃に、何故か東京の某有名事務所からオファーがきた。

わざわざ地方のライブハウスまで見に来てくれて「一度、東京のスタジオでデモのレコーディングをしてみない?」って事になり、メンバーで話し合って東京に行ってみようって事になった。

初めての東京でお邪魔したのはアミューズスタジオ。あの時はじめてみた大きな48チャンネルのコンソールがドーンっとあって、どでかいラージースピーカーから出る音に驚いた!

その時のデモのレコーディングで、プロの洗礼を受けました。

全然テイクのOKが出ないし、「ドラム辞めたほうが良いよ」とまで言われた時のショックは大きかった。

自分のドラムのフルセットを機材車に積んできてまで挑んだけど、今までのドラムプレイが如何に手癖だけでやってたかって思い知らされた。

負けず嫌いな性格なので、上手くなって見返したる!って、地元に戻ってからすぐ仕事の休みを取って、朝から夕方の約8時間個人練習を約1か月間やった。

これ逃したら二度とプロという道が途絶えると思って、必死になってました。

ほんとこの時は一番練習しまくったと思う。

そのおかげもあって、かなりレベル向上したのを覚えてる。

何でもそうだけど、どんな物事でも上達したければ、それに似合う時間が必要だと分かった。

正直、地元の同じ世代の中でも一番下手くそだと言われてたし、実際に他の連中が上手かった。

いつか絶対上手くなってやるって、ただそれだけの思いだった。

それだけ練習したおかげで、どうにかクビを逃れられた(笑)

それからは、プロユースでの本格的レコーディングでCD音源を制作する事に。

ドラムのレコーディングは、当時のディレクターに廃人寸前になるまでダメ出しされて、もう何が良くて、何が悪いとか言われ過ぎて分からなくなってたした。

当時のディレクターいわく、もっと出来ると思ってジャッジを厳しくしてたって聞いた。

最後に「はい!OK!おつかれ!」って言葉と同時に燃え尽きてた。

ほんとドラムの技術だけじゃなくて、精神的にもかなり鍛えられたかな。

当時1日で15曲ぐらいドラム録ってて、思いっきり叩いてたから腕や足もパンパンになってた。

そういう経験のおかげもあって、レコーディングのかなり早く出来るようなったな。

そんな当時は、怒涛の全国ツアーをして東京に戻ったらその足でレコーディングスタジオへ行くような日々の生活。当時、借りてる部屋に年間3分の1も居なかった。

音楽で少なからず収入を貰ってたので、ライブはいつも真剣勝負だった。

当時、ツアーとレコーディングが殆どで、スタジオリハは滅多に入れない状態が続いてドラムを叩けるのが、ライブ前のサウンドチェックの10分ぐらいと本番30分だけしかないから、なんか変な叩き癖が付いちゃって補正するのにかなり苦労したのもあった。いきなり、分からないと思うんですけど、バスドラムのペダルが踏めなくなったりするわけですよ。

そんな怒涛なツアーをやってたんですけど、色々あって1年で事務所を移籍するようになった事をキッカケに上京する事に。

実際に、あの頃は地方で音楽するってやっぱり厳しくて、今みたいにYouTubeもない時代でメジャーな東京が一番有名になる近道だった。

それからバンドメンバー皆同じところで暮し始めて、最初は楽しいんだけど時間が経つにつれ四六時中顔合わせてると、何気ない仕草にも腹が立ってきたり顔見るのも嫌になってきて、無干渉になるしかないし空気みたいになってた。

今だから笑えるけど、あれはあれでいい思い出w

そんな上京生活で、色んな音楽に出会えたり、色んなバンドに知り合えたり、絶対に片田舎に住んでた頃には、有りえない生活に変わった。

上京してから数年後、活動方針が合わなくなってしまいバンドから脱退。

当時は、ドラムで飯を食いたい!音楽で金を稼ぐんだ!って意気込んでたし、もともとの仕事を蹴ってまでこの道を選んだので、音楽でお金を稼ぐって事も大切だった。(今はライフワーク)

そこから、いろいろなバンドやソロの人をサポートやりながら、新しいバンドを組くんだりと。

とにかく音楽はずっとやてて、そこからもっと色んなジャンルをやったりするようになった。

一生懸命やってたら、いつのまにかオッサンに…そりゃなりますよ(笑)

この年齢になると、どんどんみんな地元に帰ってしまって寂しさを感じる事はあるけど、やっぱり東京へ来た理由が自分の中にあるから、まだまだやりたいわけです!

ここ最近は、コロナとか色々あるけど、最近ふと渋谷の光景をみると渋谷も変わったな~って、もう20年以上経つんだよね。

初めて東京へ来た時、機材車から眺めた渋谷駅の光景は今でも鮮やかに記憶に残ってて、その当時は本当に東京に来たんだ~ってなんか感動して、何故か頭の中で長渕剛さんの「とんぼ」が大音量で流れてた。「うすっぺらのボストンバッグ♪北へ北へ向かった~♪」って、ほんと田舎もんですからw

あの時の気持ちを今も大切にして、これからも頑張ります!

それでは、また!

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